05.03.03:07
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01.31.02:24
こどものころ
昨日の絵本で
こどものころのことを
いろいろ思い出した
ちょっと書いてみる
こどものころは、大阪の下町に住んでいた
町工場がいっぱいある地域の
大通りに面した家で
おばあちゃんが、お茶屋さんをしていた
おばあちゃんがお茶の仕入れに行くのに付いていって
帰りにデパートで食事をするのが楽しかった
私はこの町しかしらなかったけど
父と母はいつも、田舎に住みたがっていた
夏休みにはきまって
母は里帰りをした、何週間も。
私たち子供をつれて。
母の里は徳島の田舎で
田んぼと山と川しかなかった
お店も工場も商店街もなかった
川原で、何時間も石をさがした
綺麗な丸い、平らな石を探して
川面に投げて跳ねさせた
川底には、ハゼがいた
すばしっこくて、なかなかつかまらない
山の神社には、松がたくさん生えていて
その皮を剥ぐと、駄菓子屋で売っている
型抜きみたいにして遊べた
動物の形に似ているのを、一生懸命捜した
いとこのお兄ちゃんに
蜂の子の取り方を教わって
庭の池の鯉を釣ったら、怒られた
夕方になると、夕立が滝のような雨を降らせる
雨の後、庭に溝を掘って
かえるを競争させた
おばあちゃんがしいたけの菌を植えるのを手伝って
飽きたら、足元の朽木を裂いて遊んだ
朽木の中は、カブトムシの幼虫の宝庫だ
手のひらにのせて遊んだ
夜には、蛍が網戸にやってくる
カブトムシやクワガタも飛んできた
見上げれば、降るような星空だった
なつやすみの間、おかあさんがどうしてたか
全然おぼえていないんだ
きっと、自分も娘にもどって
羽をのばしてたんだろうね
私もおかあさんも、おばあちゃんちのこどもみたいだった
おばあちゃんは、あれをしちゃだめとか
これをたべなきゃだめとか
全然言わないんだ
「お腹が減ればたべるだろう、いやなら食べんでいい」って
だから、楽しいことしかおぼえてないんだ
自然との付き合い方は
空気のように学んだ
いまのこどもがゲームをおぼえるみたいに。
自然のなかには、たくさん危険がある
毒の虫、毒の草、危ない場所、気をつけないといけないこと
最初はちょっとだけ痛い目にあった
でも自然は、礼儀正しく接すれば
秘密の扉をつぎつぎ開いてくれる
「しらない」ことを当たり前だとおもってはいけないことを学んだ
「しらない」と、とても危ないかもしれないことを。
でも、「しらない」ことを自覚して
注意深く観察し
そこにあるルールを見つけ出し
それにしたがっていれば
危険な事は無い
これって、ゲームに似ていない?
たとえば、やみくもに手を突っ込まない
そこに何があるかわからないところに
無用心に踏み込まない
そういうこと
危険な虫がいるかもしれない
毒蛇が藪の中にいるかもしれない
「しらない」のだから
まずは、よく見て確かめてから
行動すること
誰に教わったわけでもないけど
全部自然が教えてくれた
自分が無知であることと
無知を知るということと。
いまでも、はっきり思い出せる
松の生い茂った山の上の神社
ピンクの花が揺れる、暑い川原
ひっそりと闇に沈む沼
田んぼの用水路をはだしであるいて
飛んでいるおにやんまを捕まえようとした
草いきれ、夏の匂い
セミの声、キリギリスの声
滝のように降ってくる夕立の音。
こどものころのことを
いろいろ思い出した
ちょっと書いてみる
こどものころは、大阪の下町に住んでいた
町工場がいっぱいある地域の
大通りに面した家で
おばあちゃんが、お茶屋さんをしていた
おばあちゃんがお茶の仕入れに行くのに付いていって
帰りにデパートで食事をするのが楽しかった
私はこの町しかしらなかったけど
父と母はいつも、田舎に住みたがっていた
夏休みにはきまって
母は里帰りをした、何週間も。
私たち子供をつれて。
母の里は徳島の田舎で
田んぼと山と川しかなかった
お店も工場も商店街もなかった
川原で、何時間も石をさがした
綺麗な丸い、平らな石を探して
川面に投げて跳ねさせた
川底には、ハゼがいた
すばしっこくて、なかなかつかまらない
山の神社には、松がたくさん生えていて
その皮を剥ぐと、駄菓子屋で売っている
型抜きみたいにして遊べた
動物の形に似ているのを、一生懸命捜した
いとこのお兄ちゃんに
蜂の子の取り方を教わって
庭の池の鯉を釣ったら、怒られた
夕方になると、夕立が滝のような雨を降らせる
雨の後、庭に溝を掘って
かえるを競争させた
おばあちゃんがしいたけの菌を植えるのを手伝って
飽きたら、足元の朽木を裂いて遊んだ
朽木の中は、カブトムシの幼虫の宝庫だ
手のひらにのせて遊んだ
夜には、蛍が網戸にやってくる
カブトムシやクワガタも飛んできた
見上げれば、降るような星空だった
なつやすみの間、おかあさんがどうしてたか
全然おぼえていないんだ
きっと、自分も娘にもどって
羽をのばしてたんだろうね
私もおかあさんも、おばあちゃんちのこどもみたいだった
おばあちゃんは、あれをしちゃだめとか
これをたべなきゃだめとか
全然言わないんだ
「お腹が減ればたべるだろう、いやなら食べんでいい」って
だから、楽しいことしかおぼえてないんだ
自然との付き合い方は
空気のように学んだ
いまのこどもがゲームをおぼえるみたいに。
自然のなかには、たくさん危険がある
毒の虫、毒の草、危ない場所、気をつけないといけないこと
最初はちょっとだけ痛い目にあった
でも自然は、礼儀正しく接すれば
秘密の扉をつぎつぎ開いてくれる
「しらない」ことを当たり前だとおもってはいけないことを学んだ
「しらない」と、とても危ないかもしれないことを。
でも、「しらない」ことを自覚して
注意深く観察し
そこにあるルールを見つけ出し
それにしたがっていれば
危険な事は無い
これって、ゲームに似ていない?
たとえば、やみくもに手を突っ込まない
そこに何があるかわからないところに
無用心に踏み込まない
そういうこと
危険な虫がいるかもしれない
毒蛇が藪の中にいるかもしれない
「しらない」のだから
まずは、よく見て確かめてから
行動すること
誰に教わったわけでもないけど
全部自然が教えてくれた
自分が無知であることと
無知を知るということと。
いまでも、はっきり思い出せる
松の生い茂った山の上の神社
ピンクの花が揺れる、暑い川原
ひっそりと闇に沈む沼
田んぼの用水路をはだしであるいて
飛んでいるおにやんまを捕まえようとした
草いきれ、夏の匂い
セミの声、キリギリスの声
滝のように降ってくる夕立の音。
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