05.09.08:32
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11.18.03:01
トパーズ
宝石質のブレス、第二弾です
今回使用したのは、ピンクトパーズです
花のイメージで作りました
水晶は薔薇のカービング(彫刻)が施されたものを使用
葉っぱの部分の緑色は、前回のペリドットの残りを使いました。
トパーズは黄玉(こうぎょく)というように、天然では、黄色が多く産出されます。
トパーズには、2種類あって、日光によって褪色するものと、色が変わらないものです。日本にもトパーズは産出しますが、褪色する種類のものしかでないようですね。青い天然トパーズも産出しますが、すぐに色が抜けて、透明になってしまいます。
色が変わらないトパーズは「インペリアルトパーズ」という名前で流通しています。綺麗なシェリー酒の色をしています。光り輝くような黄色ですね。
このトパーズを加熱すると、ピンクに変わり、こちらも、インペリアルトパーズという名前で売られることが多いようです。
よく見かける、青いトパーズは、無色透明のトパーズに放射線照射と加熱処理をしたものですが、今回使用しているピンクトパーズは、コーティングトパーズといわれるもので、無色のトパーズに着色したものです。
ピンク色の宝石には、他に、ピンクトルマリンやロードライトガーネット、ピンクサファイヤ、モルガナイトなどがありますが、何分お高くてw
コーティングトパーズが一番手に入り易い素材だったので、これにしました。
コーティングトパーズは、ペンダントトップなども、安い値段のものがあるので、セットで揃えてもかわいいなーと思っています
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10.06.03:03
パワーストーンと浄化について
もともとは、単なる鉱物好き~ジェム好きから
最近のパワーストーンブームで
いい石がたやすく手に入れやすいことから
パワーストーンのショップやサイトを巡るようになったのですが
不思議に思う事がひとつありました
それは、どのサイトでも、当たり前のように石を「浄化」すると
いっている事です
この思想はいったいどこから始まっているのか。
ごく常識的に考えて、ヨーロッパのキリスト教圏においては
聖別という考え方はあっても、浄化という考え方はちょっと違うはず
石に気がたまるという考え方は、どうもとても日本的な雰囲気が強い気がする
もともと、巨石などに神性を感じる文化というのは
シャーマニズムに起因していることが多いように思います
シャーマニズムの強い日本では、石のみならず
自然物や、人工物であっても長く使ったりしたものに
魂が宿るという考え方がありました
針供養や人形供養がその代表的なものであり
自然物の石や木、山などをご神体としている神社はたくさんあります
シャーマニズムでは、神と言う存在が善にも悪にもなりうるため
「触らぬ神に祟りなし」とか「祟り神」などという信仰があります
神山で石を拾ってきたら祟りがあるんじゃないかとか
刑場の石には恨みや呪いが篭ってるとか
神なんて信じないといっている人でも、そういうものを持って帰りたくないと
日本人なら思うんじゃないでしょうか
でもまあ、そういう日本人の心情につけこんでいるんじゃないのかな・・・と思うほど
このパワーストーン業界の浄化は(商売になって、浄化グッズが売れるからなんでしょうが)
ひどい過熱ぶりなんじゃないかとおもっていたわけです
そこで、この「浄化」という考え方が
いったい誰が言い始めて、何が元になっているのか
ちょっと調べてみようと思い立ったわけです
それほど一生懸命調べたわけではありませんが
けっこうすぐに、それについて書かれているサイトが見つかりました
なかなか、興味深いことが書いてあるサイトなので
興味がある方は読んでみてください
http:// www.w-b lue.com /crysta l/purif ication /index. php
簡単にその内容を書いてみます
もともとは、ネイティブインディアンのシャーマニズムの思想が元になっているようですね
それが、いわゆるニューエイジの思想に乗って、日本に入ってきたようです
もともと、シャーマニズムの土壌がある日本で、これが抵抗無く受け入れられ
商業主義とあいまって、急速に広がった・・というのが実情のようです
(ニューエイジについては、こちらhttp:// ja.wiki pedia.o rg/wiki /%E3%83 %8B%E3% 83%A5%E 3%83%BC %E3%82% A8%E3%8 2%A4%E3 %82%B8)
このサイトでは、石に浄化は必要ないが、浄化が必要だと感じる人間の側の
マイナスの感情を浄化する儀式的アイテムとして
石の浄化をすることは、意味がある・・・といっています
これを読んで、思わず「うんうん、そのとおり ! 」と思ってしまいました
以前漫画でなんですが、「人が絶滅した星では、もう幽霊は出ない」というのを読みまして
そうなんですよね。幽霊も悪霊も、それを見る人間がいて初めて存在するもので
人の消えうせた世界には、もう、幽霊も悪霊もいなくて、ただ、完全な静寂しかない
昔の人が感じたように、石や古びた物は、パワーを帯びているのかもしれない
でも、それを悪と感じるか、善と感じるか
すべては受け取る側の人の状態を、反映しているんじゃないでしょうか
自分の状態をニュートラルにする・・あるいは、
マイナスと感じることをプラスに変えるために、儀式的浄化はいいかもしれませんね
まあ、私のようにまったく感じない人には、必要ないってことですね
そんな私でも、しばらく石や宝石をほったらかしていて
しばらくぶりに出してくると、なんだかくすんで見えたりするんですよね
毎日なでなでしてると、きらきらしてくるような気がw
でも、いっぱいありすぎて、平等に愛してあげられないのが悩みです・・・tt
最近のパワーストーンブームで
いい石がたやすく手に入れやすいことから
パワーストーンのショップやサイトを巡るようになったのですが
不思議に思う事がひとつありました
それは、どのサイトでも、当たり前のように石を「浄化」すると
いっている事です
この思想はいったいどこから始まっているのか。
ごく常識的に考えて、ヨーロッパのキリスト教圏においては
聖別という考え方はあっても、浄化という考え方はちょっと違うはず
石に気がたまるという考え方は、どうもとても日本的な雰囲気が強い気がする
もともと、巨石などに神性を感じる文化というのは
シャーマニズムに起因していることが多いように思います
シャーマニズムの強い日本では、石のみならず
自然物や、人工物であっても長く使ったりしたものに
魂が宿るという考え方がありました
針供養や人形供養がその代表的なものであり
自然物の石や木、山などをご神体としている神社はたくさんあります
シャーマニズムでは、神と言う存在が善にも悪にもなりうるため
「触らぬ神に祟りなし」とか「祟り神」などという信仰があります
神山で石を拾ってきたら祟りがあるんじゃないかとか
刑場の石には恨みや呪いが篭ってるとか
神なんて信じないといっている人でも、そういうものを持って帰りたくないと
日本人なら思うんじゃないでしょうか
でもまあ、そういう日本人の心情につけこんでいるんじゃないのかな・・・と思うほど
このパワーストーン業界の浄化は(商売になって、浄化グッズが売れるからなんでしょうが)
ひどい過熱ぶりなんじゃないかとおもっていたわけです
そこで、この「浄化」という考え方が
いったい誰が言い始めて、何が元になっているのか
ちょっと調べてみようと思い立ったわけです
それほど一生懸命調べたわけではありませんが
けっこうすぐに、それについて書かれているサイトが見つかりました
なかなか、興味深いことが書いてあるサイトなので
興味がある方は読んでみてください
http://
簡単にその内容を書いてみます
もともとは、ネイティブインディアンのシャーマニズムの思想が元になっているようですね
それが、いわゆるニューエイジの思想に乗って、日本に入ってきたようです
もともと、シャーマニズムの土壌がある日本で、これが抵抗無く受け入れられ
商業主義とあいまって、急速に広がった・・というのが実情のようです
(ニューエイジについては、こちらhttp://
このサイトでは、石に浄化は必要ないが、浄化が必要だと感じる人間の側の
マイナスの感情を浄化する儀式的アイテムとして
石の浄化をすることは、意味がある・・・といっています
これを読んで、思わず「うんうん、そのとおり ! 」と思ってしまいました
以前漫画でなんですが、「人が絶滅した星では、もう幽霊は出ない」というのを読みまして
そうなんですよね。幽霊も悪霊も、それを見る人間がいて初めて存在するもので
人の消えうせた世界には、もう、幽霊も悪霊もいなくて、ただ、完全な静寂しかない
昔の人が感じたように、石や古びた物は、パワーを帯びているのかもしれない
でも、それを悪と感じるか、善と感じるか
すべては受け取る側の人の状態を、反映しているんじゃないでしょうか
自分の状態をニュートラルにする・・あるいは、
マイナスと感じることをプラスに変えるために、儀式的浄化はいいかもしれませんね
まあ、私のようにまったく感じない人には、必要ないってことですね
そんな私でも、しばらく石や宝石をほったらかしていて
しばらくぶりに出してくると、なんだかくすんで見えたりするんですよね
毎日なでなでしてると、きらきらしてくるような気がw
でも、いっぱいありすぎて、平等に愛してあげられないのが悩みです・・・tt